稀勢の里の父親は何者?偉そうな芦屋の社長?仕事は事業失敗?嫁取りって?

   

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久々の日本人横綱誕生に沸いた2017年大相撲初場所。

第72代横綱となった稀勢の里、そして稀勢の里を支えてきた家族や父親に注目が集まっています。

稀勢の里の後ろ、右が父親で左が母親です。

横綱を育てた父親はどんな人なのでしょうか?気になりますね~。

色々と調べてみましたよ☆早速みていきましょう!

父親は何者?職業は?

稀勢の里の父親について調べていくと、「社長」や「事業失敗」などのワードが出てきます。

一体何者?お父さんはどんな職業の方なのでしょうか?

社長事業失敗仕事は何をしているの?

お父さんの名前は萩原貞彦さん。現在71歳です。

萩原貞彦さんは社長なのかなと思ったのですが、現在は年金生活を送られているようです。

過去の職業に関してですが、2002年に稀勢の里がこの世界に入ったときの雑誌のインタビューで、自分で商売をしていたと答えていたという話があります。

しかし、その後2008年7月号の相撲専門雑誌「大相撲」では稀勢の里の父親の職業が「会社員」となっていたようです。

2002年の時点では自分で商売をしていた=社長となり、その後会社員として働いたということは、会社の経営に失敗したため会社勤めをすることになったと考えられ、「事業失敗」という話が出回ってしまったのかなと思われます。

ただ、自営業から会社員になったからと言って必ずしも事業失敗したとは言えないです。

自ら安定を求めて会社勤めに転向した可能性もありますし、経営としては成り立っていても、自分で商売をすることにつかれてしまって次号をたたんだということも十分考えられます。

なるほど、「社長」や「事業失敗」のワードが出てきた裏にはそのような事情があったんですね!

2007年頃からリーマンショックの発端となるサブプライムローン問題などもあり、徐々に景気が落ちていた時期ですから、そのあおりを受けて経営していた会社が倒産してしまったという可能性もなきにしもあらず、という感じでしょうか。

もしそれが真実なら稀勢の里関も心配だったでしょうね。

景気の荒波にもまれていたお父さんは、稀勢の里関の活躍だけが心のよりどころだったかもしれませんね!

ボクサーだった!?

お父さんは昔ボクサーをされていたんだそうですよ!

「稀勢の里のお父さんは元プロボクサーで、もともと息子の稀勢の里には格闘技の才能があった。」

という噂もありますが、稀勢の里の父親は元「アマチュア」ボクサーだったらしいので、バリバリ世界で戦いまくっていたというわけでもなさそうです。

しかし、格闘家としての才能や不屈の精神はおそらくお父様からの遺伝なのではないかとも思いますね。

相撲とボクシング、形は違えど相手と戦う格闘技という点では同じですから、やはり遺伝は大きそうですね!

ちなみに、稀勢の里の父親の職業については明らかになっていませんが、過去にアマチュアでボクシングをやっていたということは、体力はあるでしょうし職人や力仕事関係の職に就いて働いていた可能性はありますね。

今現在、稀勢の里の父君は高齢ですし、年金をもらっているような発言をしていましたので、もうお仕事はしていないのではないかと思います。

現在71歳ですから、もう年金生活をされていてもおかしくありませんね。

出身は桐生?芦屋?

現在は茨城県牛久市に住まれているという稀勢の里関のご両親ですが、お父さんの出身はどこなんでしょうか?

10代の一時期、桐生で過ごされたことがあったそうですよ!

父親の萩原貞彦さん(71)は10代の一時期を桐生で過ごした。中学・高校時代の級友で、今も貞彦さんと交流のある田村明弘さん(71)=桐生市新里町=や、高校時代の恩師・中島三代支さん(82)=同広沢町=らは「とにかくうれしい。優しくて力持ち、シャイな性格は父親そっくり」と、念願の横綱昇進をわがことのように喜ぶ。

田村さんによると、貞彦さんとの出会いは桐生市立西中学校時代。「1年のときに転校してきたのを覚えています」。お互い永楽町在住。家が近い上、高校も同じ桐生市立商業高校に入学。友達づきあいは自然と深まった。

「(貞彦さんは)体が大きく腕力もあった。明るくてでしゃばらず、運動能力も高かった」と、田村さんは振り返る。高校時代に3年間、担任を務めた中島さんも「寡黙で力があり、骨太な生徒だった」と印象を語る。

2人は「しぐさといい、余分なことを言わない性格といい、いま思い返しても稀勢の里関によく似ていました」と指摘する。

お父さんと稀勢の里関はよく似ているんですね!

桐生市のお父さんのお友達も、稀勢の里関の横綱昇進はとても嬉しいでしょうね☆

一方、稀勢の里関の出身はというと、何と兵庫県芦屋市なんだそうですよ!

出身と言っても、生まれた場所が芦屋市で、その後すぐに茨城県龍ヶ崎市に引っ越したそうなんですが。

でも芦屋市と言えば関西ではお金持ちしか住んでいないといわれる有名な土地。

稀勢の里関が芦屋出身だなんて、なんだか意外でした!

手記で「気の毒」?毒親なの?

お父さんのことを調べていると「毒親」というワードも出てきます。

写真を見る限り、そんな感じはしないのですが・・・。

個人的に、そんなワードが出てきたのにはお父さんが発表された手記に発端があるのではないかと想像できます。

現在本人を取り巻く環境は過去の環境とは比べようもないぐらい大変な時代ではないでしょうか。

戦後復興のハングリーな日本と同じ環境のモンゴル勢と、相撲史上最強と思われる白鵬が君臨し、大いに盾になっています。

そういう中で日本勢対外国勢という構図が出来上がり、日本代表として日本人ファンまた関係者の期待を一身に受け、中学を卒業して相撲しか知らない純粋培養の本人にすれば病気になるぐらいの重圧を感じていました。

こういった環境の中で非常によくやったと思っています。私としては大関のままでケガなく病気にならない体づくりを第一に考え、好きな相撲を長くやってもらうのが念願でした。

しかしそれではお世話になった人、世間が許してはくれません。

さて、これからが大変です。今まで以上に稽古をこなし、自分を律し、より勉強して名実ともに誰からも模範になるような立派な人間になるよう努力しなければなりません。

そういった意味で「おめでとう」と言うよりはこれからはなお一層頑張らなきゃいけないと思うと気の毒になったというのが本音です。

読んでみての感想は、もうちょっと褒めてあげてもいいのでは、と(汗)

昔ながらの父親という感じ。「勝って兜の緒を締めよ」を地でいく感じですよね。

自分のことだけ考えていれば良かった大関の頃とは違い、横綱となれば責任重大。

嬉しいけれど気の毒と思ってしまう親心はよくわかるんですが、厳しい父親だからこそ出てくるコメントだなぁと思いましたね~。

息子の「嫁取り」についてコメント

まだ独身である稀勢の里関。

そんな彼のお嫁さんになる人はどんな人なのか?

優勝した今「嫁取り」について注目が集まっているようです。

父貞彦さんは「嫁取り」について「『相撲を取っている間は結婚しない』と宣言している」と明かした。

自らの相撲道を貫くには女性は二の次。その意志の表れだった。

もっとも、父も「恋愛ですからどう展開するか、こればかりは分かりません。でも、嫁取りは厳しい。私の目を通さないといけませんから。3歩下がって夫の帰りを待つじゃないが、出しゃばらず、ブランド好きでないこと」と、違う角度から後押しした。

またまたちょっと毒親っぽいコメント出てますね(汗)

「私の目を通さないといけませんから」!!

しかし、稀勢の里関は相撲を取っている間は結婚しないと言っているんですね~!

辛い時に支えてくれる女性がいると励みになるのではと思うのですが・・・。

ファンとしては、横綱となった稀勢の里関に私生活でも幸せになってほしいです!

今後稀勢の里関が、お父さんも安心できるようないいお嫁さんに出会えることを願っています♪

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